西部湯瓜のshow論文

場末の劇場へようこそ

イランってどんな国?<音楽文化編>

イランの音楽事情について、紹介しようと思います。
 
例えば日本の音楽事情をざっくり説明するなら、「若者世代はロックやポップスを好んで聴き、シニア世代は演歌を好んで聴く」というようにまとめることができますね。もちろん、日本人の中にはクラシックファンも大勢いるし、ジャズだって人気は根強いです。でも、ひと言で端的に説明するなら、このようにまとめざるを得ないでしょう。外国人に「日本ではどんな種類の音楽が人気なの?」と聞かれたら、とりあえず大ざっぱな説明として、問題ないんじゃないでしょうか。
 
このエントリでは、イランの音楽事情について同じ手法で説明します。イラン人に人気の音楽ジャンルを図解すると次のようになります。
 
イランの音楽事情 図解

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ポイントは伝統音楽です。伝統音楽は17世紀頃から歴史を持つジャンルで、イランでは全世代の人たちに親しまれています。「伝統音楽の有名な歌手や歌を教えてください」と質問すれば、イラン人なら誰でも答えることができます。伝統音楽の一例として僕のオススメを貼っておきます。
 
 
これはイランで有名な伝統音楽の歌手の曲です。歌手の名前はホマユーン・シャジャリアン。イランの最も有名な伝統音楽歌手シャジャリアンの後継者と期待される人物です。
 
イランの伝統音楽の歌い方はタハリール(=ウグイスのさえずり)という歌い方をします。イラン人は鳥を愛しています。鳥のさえずりを真似したのが音楽の始まりとされていて、今でも鳥を意識しているようです。え?日本人歌手の平沢進に似ている?はい、僕もそう思いました。
 
 
次にイランポップについて見てみましょう。
 
 
こんな感じです。
 
今度はイランのクラブミュージッック(ダンスミュージック)。
 
クラブミュージックでも伝統的な楽器を用いるのがイランの特徴です。
図解のところにバンダリーとありますが、バンダリー音楽というのは、伝統楽器であるバグパイプと太鼓で演奏する音楽のことです。
 
バンダリーのミックスはオススメです。
 
 
この動画で流れる曲は往年の名曲の数々です。え?日本の演歌に似ている?僕もそう思いました。
 
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イランに興味のある方は、こちらもどうぞ。

sikayamakei.hatenablog.jp

2017年プレイしたボードゲーム一覧&ひとこと感想

以下、遊んだ順です。

 

ガイスター
ボードゲームに嵌まったきっかけはこのゲーム。プレイしたその日にAmazonでポチった。

パンデミック
タイプじゃない。みんなで協力するゲームは、イマイチ燃えない。自分は対戦型のゲームが好きなんだと思い知らされた。

テレストレーション
まあまあ面白かった。一度、色んな国籍のメンバーで集まってやってみたい。グローバルな席でやるとマックス楽しそう。

ザ・ゲーム
人気は聞いていたし、ビジュアルもカッコいい。でも、やはり協力ゲームは燃えなかった。

コンプレット
麻雀よりずっと簡単に麻雀っぽい楽しさを味わえるゲーム。麻雀と違ってシンプルなルールだから、誰でもその場ですぐに覚えられるのが魅力。ただし、正直言えば四、五回やると飽きる。

ハリガリ
反射神経がいい自分にとっては、無双必至のゲーム。ハリガリに関しては誰にも負ける気がしない。世界が止まって見える。賞金のある大会が開催してたら出場して荒稼ぎしたい。

ベガス
面白い。運の要素も大きい印象。でも、ただ運ゲーという感じはしない。戦略要素と運要素が絶妙にマッチしている。これも買いました。

バトルライン
グレートです。これも買った。何度でも遊びたい。普通のルールも上級者ルールもどっちも面白い。

バベル
有名な方のバベルではない。つまり、ジェンガっぽいやつの方ではない。カードで戦う二人対戦の方。古い方。今は絶版になっているが、面白いという噂を聞いて、中古を購入。確かに面白かった。バトルラインよりは下回る。

ラブレター
面白い。買った。病みつきになる。

ラミィキューブ
やりこんだ経験の差がものを言うゲームの最たるもの。あまりタイプじゃない。

ガガリオ
二、三回あそんだら十分かなという印象。

ロストシティ
これも、二、三回あそんだら十分かなという印象。

メトロ
一回しかプレイしていないので、もしかすると誤った理解かもしれないということを事前に断っておく。究極の運ゲーという印象。戦略はほぼ無意味。あまりのつまらなさ加減に開いた口が塞がらない。

おばけキャッチ
ハリガリに近いゲーム。反射神経が全て。面白い。

ペンギンパーティー
良かった。購入一歩手前で踏みとどまりました。お金に余裕があれば、買ってしまっただろう。

R-raivals
二、三回あそんだら十分かなという印象。

街コロ
面白い。購入決定。運と戦略のバランスが良い。そのうえで意思決定の機会が多くあるので、その点でベガスより上。

ビブリオス
はい、またまた購入決定。ここまで遊んできて、ボードゲームも結局、有名なゲームが一番面白い説が、確かなものになってきた。

ピロス
面白い。得意。おしゃれ感もいい。

クアルト
ピロスを超えるおしゃれ感。でも、苦手。全然勝てない。ミスしかしない。うまくなる気がしない。

 

最後に。これらの中から、どれかひとつだけを選べと言われたら、バトルラインを選びます。

Where to go in Kyoto?: A Visit to the Antiquarian Bookstores

Welcome to Japan!
 
Kyoto has a lot of antiquarian bookstores. I highly recommend these antiquarian bookstores as great sightseeing spots! You might ask me… why the antiquarian bookstores although all of their books are in Japanese? That’s absolutely fine. It doesn’t matter if you’re familiar or not with Japanese language.
The minute you enter an antiquarian bookstore, you will recognize the place is full of antique and cultural scents that have been accumulated in its palimpsest history. These scents must immediately bring you towards past classical days of rich cultures. Even this experience will be certainly valuable.
There are in the bookstore very old books, some of which were written by Japanese traditional writing brushes. There, you can pick up one of these cool books in your hands. You, of course, can’t understand what is written in the book. Don't worry, ordinary Japanese people can’t easily read these books like you guys. Again, you don’t have to read the contents. First of all, just take these books, feel the history, and touch the old-fashioned books, as if you usually find importance more in lyrics than in melodies when listening to foreign songs. There you go, you now see what I mean.
Just try to imagine how many years the antique books have waited for your visit. Also, guess what the author notes in the pages you open in your hands. I believe books are not only to be read but also to be imagined. There is invisible spiritual communication between the books. If you like a book at the antiquarian bookstore, that’s already yours. Why don’t you make the book travel to your country and accumulate its new history there? And… don't forget to upload a picture of the book to your Instagram account. It would be very cool with no doubt!
Imagine some years later after your travel in Kyoto, there will be 2 books on your bookshelf, which remind you of your memories. One is ‘Lonely Planet’, and the other is the antique book you bought in Kyoto.
 

<日本語版>

ようこそ、日本へ。

京都には長い歴史を持つ古書店がたくさんあります。私は古書店を観光スポットとして強くお勧めします。え、日本語は読めないし、行ってもしょうがない?いえ、そんなことはありません。古書店には長い歴史の中で蓄積された文化の香りが満ち満ちています。それを体感するだけでも特別な体験になるでしょう。とても古い本だと、毛筆で直接書かれたような本もあります。それらは実際に手に取って触ることができます。中身に何が書いてあるか、それを理解する必要はありません。実際に本を手に持ち、ずっしりとした重さや手触り、そして匂いを感じてみましょう。外国語の歌を聴く時に歌詞よりもメロディを楽しむように。いったい何年間の時代を経て、あなたの手のひらに辿り着いたのか、その本の歴史に思いを馳せてみましょう。きっと、こんなことが書かれているんじゃないかな、と想像が掻き立てられることだと思います。本は読むものじゃなくて想像するものです。もし、あなたの五感にビビッと来た本があれば、もう買っちゃいましょう。Instagramにもアップしましょう。古本は意外とインスタ映えしますよ!

旅行を終えて、母国に帰国してから数年後のあなたの本棚を想像してみてください。そこにはきっと、京都を思い出させる本が二冊残っていると思います。一冊は、ボロボロになった『地球の歩き方』。そして、もう一冊はもちろん、京都で出会った日本語の古い書物です。

「服のコピーサービス」待望論

 服は難しい。購入前にどれだけ比較検討しようが、レビューを見ようが、はたまた店頭まで出掛けて試着しようが、それでも油断できない。いざ、生活の中で着てみると、とたんに違和感を覚える。買っては失敗し、また買っては失敗し、失敗を繰り返した末に、たまにお気に入りのシャツが一枚見つかる。服とは元来そういうものなのかもしれない。

 ごく稀に、運命と呼びたいくらい自分の追い求めていた服とめぐり逢うことがある。好きだからこそ頻繁に着る。ヘビーローテーションするに連れて、洗う回数も増える。そして、あっという間に別れの時が来る。

 服の寿命が来るのは心底かなしい。物にもよるが、例えば夏場に着るTシャツの場合、劣化の速度は凄まじいものがある。かつて一生涯着続けると誓ったTシャツは三年もたなかった。

 せっかくおびただしい数のハズレ服を通って、やっと見つけたお気に入りの服が、たったの二、三年でバイバイだなんて、むなしくないだろうか。運命の服に出会っても、共に添い遂げることはほぼ絶望的だ。同じものを買おうと店に行っても、もう在庫は残っちゃいない。

 だったらコピー機がほしい。服のコピー機だ。最新の箱型ガジェットに服を突っ込めば、まったく同じ大きさ・色・形の新品の服が出て来る。3Dプリンターが市販されているこの時代に、それくらいの製品が発明されてもいいのではないだろうか。いや、失礼を言った。書いていて、どれだけの贅沢を望んでいるのか、身に染みてきた。仮に技術的に可能だとして、その服に使用されている材料に近いものを消費者が用意できるわけもない。

 それなら、服のコピーサービスはどうだろうか。服のコピー専門店に服を持ち込めば、店側で材料など調達してくれて、お客は代金を支払うだけでいい。もちろん、高くつくだろう。しかし、その服を購入したときの倍の値段であっても、十分にペイするのではないか。お気に入りの服ともう一度やり直せるのだから。結婚離れが加速するこの時代、せめて一生を誓えるシャツとくらいは、結婚させてほしいものである。

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映画『リバーズ・エッジ』公開前に、個人的な注目ポイントについて書いてみる。

いまを生きる若者たちが経験する心の揺らぎ、憎らしくもかわいげのあるリアルな恋愛、その背景にある独特の空気感をスタイリッシュに描いてきた岡崎京子。1993〜94年にかけて雑誌「CUTiE」(宝島社)で連載された彼女の代表作「リバーズ・エッジ」は、今なお青春漫画の金字塔として時代も世代も超えて熱狂的な支持を集めています。そして今回20年以上の時を経てついに映画化! 2018年2/16(金)全国ロードショーとなります!!

イントキブログより引用(http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/16481)。2017.12.19

 

漫画『リバーズ・エッジ』が映画化されるという。

原作の漫画はとても面白い漫画だった。ただ、ひとつだけ解せない点があったのをよく覚えてる。

それは山田一郎だ。

この登場人物についてWikipediaによる説明を引用しよう。

ハルナと同級生の美少年。学校の不良である観音崎達にいじめられている。女子に人気があり一緒に遊ぶこともあるが本人はゲイであり、学校の中では上級生に片想いをしている。自分が見つけた死体を、「宝物」と呼んでいる。ゲイであることをカモフラージュするため田島カンナと付き合っている。

漫画を読んだとき、山田一郎に関する重大な矛盾が気になり、どうしても消化できなかったのだ。そして、僕は未だに理解が追いつかないままでいる。その矛盾とは、何を隠そう、山田一郎が不良たちにいじめられながらも、モテていたことである。

 

スクール・カーストを取り上げるまでもなく、学校という奇妙な閉鎖社会には、独特の秩序がある。僕たちは学校モノの物語を読むとき、学校が持つ特有の秩序について前提知識を有したうえで、話を理解している。だから、些細な行動ひとつひとつに登場人物の感情の機微を読み取れる。

 

山田一郎という男子生徒はいじめられているのに、モテている。あまりに特異な設定に僕は面食らった。いじめられている男子生徒がモテるといった例を寡聞にして知らないからだ。漫画を読み終えてすぐ、大学の友人たちに、それぞれの中高時代に同様の例がなかったか聞いて回ったほどだ。
他所の学校の女子にモテているというのであれば、理解できる。学外の女子たちは、その男子がいじめられっ子だという文脈を知らないからだ。しかし、山田一郎は所属の学校でモテていた。作者・岡崎京子は女性である。女性ならば、なおさら、モテる男子に関して確かな洞察があるはず。容姿の美しさを圧倒する文脈の破壊力を知っているはずなのだ。どうして、こんな設定にしたのだろうか。僕には、ついに分からなかった。

 

今回の実写化では、この点に注目したい。映画で見れば、矛盾した設定の意味が読み解けるかもしれない。いや、もしかすると、映像を見れば、なんの違和感もなくすんなり腑に落ちるのかもしれない。そんな期待を持って、映画の封切りを待ちたいと思う。

 

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リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

 

 

なぜ大学のパソコンはすぐ壊れるのか?

大学のパソコンは調子が悪いことが多い。

これを読んでいる人の中にも、大学の情報科室や図書館に置いてあるパソコンで作業していて、はずれパソコンに当たった経験のある人がいるだろう。

締め切りに追われ、レポートを書いていた時、パソコンがうまく動いてくれなくて、慌ててスタッフを呼んだ記憶はないだろうか?
誘惑を断ち切って卒論の執筆に集中するため、わざわざ学校へ来たというのに、パソコントラブルに遭遇して、余計に時間をロスしたことはないだろうか?
あるいは、就活中、一社だけエントリーシートの提出がギリギリ間に合わず、社会で一番大切なことを学んだ経験はないだろうか?

あると思う。
いや、答えなくていい。
あるのが普通だから。
や、大丈夫だ。口は閉じたままで構わない。
あったんだね。

当時のイライラした記憶はすでにデリートしたはずだったのに、いまさらこんなものを読んだせいで、あの日の細かなエピソードまで思い出してしまい、怒りの感情がふつふつと蘇ってきたことだろう。

ここで言いたいことは、あの出来事は、たまたま運がわるかったのではない、ということだ。
起きる全ての物事には必ず理由がある。この間(もしくは学生時代のあの日)、パソコンが壊れたのは決して偶然じゃない。
大学生は皆、大学内のパソコンの不調に出くわした経験があるものだ。
最も酷いケースでは、卒論をワードで書いている最中に訪れた突然の故障によって、書きかけのデータがふっ飛んだ例を知っている。悲劇だ。

それにしても、なぜ大学のパソコンは調子が悪いのだろうか?

その答えを言おう。
それは、大学が業者から買ったパソコンがパチモンだからだ。

ある日、学校へ行くと、パソコンルームの全PCが新品だらけになっていたことがある。事務職員に確認すると、最近PCを一斉に買い換えたらしい。正直、かなり期待した。もうこれでPCトラブルから解放されるのだと。レポート提出の締切日に非常事態に陥ることも無くなるのだと。が、実際に使ってみると、相変わらず絶不調だった。さすがに腹が立って、独自ルートで詳しい内部の話を聞くことにした。
結果、衝撃の事実が判明した。大学が大量に買ったパソコンは、廃盤の製品だったのだ。廃盤の製品をわざわざまとめ買いするとは、見上げた馬鹿だ。

なぜ、わざわざ廃盤の製品を大量購入する必要があったのか?

安いから?
違う。
大勢の学生から高い学費をかき集めて、たんまり潤っているのだから予算の都合では決してない。

悪徳業者の口車に乗せられたのだ。
大学の備品を購入について決裁を下す役割は委員会にある。しかし当の委員会には、残念な事にIT系の知識に詳しい人材が非常に少ない。そのうえ、もっと悲しい事に、職員たちは購入に当たって情報を熱心に収集する意欲にも欠けているのだろう。
何も分からないから、業者に言われるがままに購入の契約を交わしてしまう。
その結果、もう売り物にならない廃盤のPCをどっさりと掴まされる羽目になる。
一度、業者が味をしめたら、後は同じことの繰り返しだ。
大学は完全にカモられている。

それ以来、僕の目に映るキャンパスの景色が変わった。
大学にある色んなものが、違う背景を持って見えてきた。ダークな色味を帯びて見えてきた。
構内にある学生食堂。その壁のあちこちに、メニューの紹介のために、十数台のテレビが備え付けられている。メニューなんてプラスチックのボードで十分なのに、贅沢にも、わざわざテレビ画面に映し出している。唐揚げ南蛮定食を紹介するためだけに、テレビ1台を使うのだ。それも動画じゃなくて写真1枚を表示しているだけだ。馬鹿げている。これもPCと同じ。液晶画面のその向こうに、隠された大人の事情があるのだ。

業者にとって、大学は、廃棄物処理場なのかもしれない。

 

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卓球ではスマッシュを打ってはいけない。

<はじめに(結論)>

今日は、卓球の世界で、本当は皆が知っているのに、誰も語りたがらない一つの真実について話そうと思う。

結論から言おう。
それは、スマッシュは決して打ってはいけない、ということだ。

<アマチュア編>

数年間トレーニングを積んだ卓球経験者なら誰でも知っていることだが、スマッシュは試合で入らない。
全く入らない。
スマッシュは、相手のボールが高くバウンドしたチャンスを狙う基本的なプレーとされている。
しかし、入らない。
試合に限って入らない。
ただし、練習ではポンポン入る。
原因はとても単純だ。
試合という本番の場では、目の前にチャンスのシーンが来た時、練習では体感したことのないプレッシャーがかかる。まさか自分のチャンスで失敗するわけにはいかないと思い、余計に緊張し、身体がわずかに強張る。それによって、ほんの少しだけフォームが崩れるのだ。卓球のような繊細なスポーツにとって、少しのフォームの乱れは命取りだ。

さて、こんなことは卓球を数年やっていれば本当に誰でも知っている。

それでも、なぜアマチュアはスマッシュを打ってしまうのだろうか?

その理由は、「何年も卓球をやっているから」に他ならない。
ちょっと想像してみてほしい。
何年も卓球をやって上達した自分を。
たとえば、3年間も卓球をやっていたら、スマッシュが身についていないはずがない。と思ってしまう。
だって、これまでに練習で決めてきたスマッシュの数は、何千回にも及ぶのだ。
当然、スマッシュなどという入門書の2ページ目に載っているような簡単な基本プレーはマスターしたはず。そう思って当たり前だ。
そして本番で失敗する。
毎回のようにチャンスシーンで身体が強張り、フォームが崩れる。
そして歳月をかけて、「身体が萎縮してボールを外す」までの一連の誤ったフォームが身体に染み付いていく。
やがてそれは試合専用フォームとなって完全に確立される。
もう戻れない。
外す。
ことごとく外す。
高く跳ね上がったチャンスボールを前に、唾を飲み込み、スマッシュを放てば、ある時はネットに引っかかり、ある時は空振りし、ある時は宇宙を開発する。
スマッシュはチャンスどころか、むしろリスクである。

<プロ編>

プロはスマッシュをガンガン決めることができる。
世界大会の決勝戦のようなプレッシャーがかかる場面であっても、練習の時と変わらぬパフォーマンスを発揮できるよう鍛え抜かれている。
そしてその威力はアマチュアのそれとは比べ物にならない。
鬼のような剛速球だ。
なるほど、プロにとってスマッシュはチャンスだ。
大間違いである。

テレビで卓球の試合を観たことがある人なら誰でも知っていることだが(観たことが無い人はYoutubeで「卓球 スーパープレー」で検索GO)、プロはスマッシュに対して、スマッシュで応じる。
つまり、スマッシュをスマッシュで打ち返す。

ということは、どういうことか?

チャンスボールが来て、もしスマッシュを放てば、次に自分に返ってくるのは、鍛えぬかれた威力満点のスマッシュなのだ。
鬼のような剛速球なのだ。
つまり、スマッシュを打つということは、自分の首を締めるも同じなのだ。
スマッシュは決してチャンスではない。
リスクだ。

それでも、なぜプロはスマッシュを打ってしまうだろうのか?

その理由は、「プロだから」に他ならない。
プロたるものチャンスボールが来たら、スマッシュを打たねばならない。
なぜなら、チャンスボールをミスせずにスマッシュできることこそ、プロをプロたらしめる所以なのだから。
剛速球で打ち返されると分かってはいても、それでもスマッシュしなければアマチュア以下である。
観客やテレビの前の視聴者に格好がつかない。
アマ以下なら卓球をやめた方がマシだ。
こうして選手達は今日もスマッシュを打ち、そして負けるのだ。

<おわりに>

最後に、これまで述べた『スマッシュはリスク論』のロジックの矛盾について自ら指摘したい。

プロがスマッシュをスマッシュで打ち返せるということは、その返されてしまったスマッシュもスマッシュで打ち返せるということだ。
実際に、テレビで放送されるプロの試合を観てもらえば分かる通り、プロの試合ではスマッシュの応酬が繰り広げられる。
だから、プロに関して言えば、スマッシュを打つ側が負けるとは限らないだろう。

チャンスボールとなる浮き球があがったら、スマッシュが放たれる。それを、いとも簡単にスマッシュで打ち返したと思ったら、これまた鬼のようなスマッシュが飛んでくる。と思いきや、それがまたスマッシュで返される。そしてスマッシュで跳ね返す。スマッシュに次ぐスマッシュ、スマッシュ、スマッシュ...。

だとしたら、全く効果の見えないこのスマッシュとやらは、一体何なのだ?

この謎については今後の課題としたい。

 

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イランってどんな国?<食文化編>

イランでは、レストラン1軒につき、料理が1品しかない。

日本だったら、パスタにするのかピザにするのか、それともステーキにするのか、自分で選ぶのが普通だ。

しかし、イランのレストランでは料理が1種類しかないので、メニューの中から自分の好きな料理を選ぶということはない。そもそもメニューが無い。

イラン人は国民性として、かなりの自信家だ。
それは、食についても同じ。
ここに来たら黙ってこれを食いやがれ、といった感じだ。
お客としても、選ぶ必要が無くなると、かえって楽なものだ。

しかし、店によって全く違う料理が出るのかと言えば、そうでもない。
わりと被っている。
レパートリーは決して多いとは言えない。
おまけに、食に対する自信のせいで、料理文化の変化の速度が遅い。

つまり、外国人からすれば、すぐに飽きる。

ということは、ここにビジネスチャンスがある。
外食文化について世界最高のクオリティを誇る日本の飲食店がイランに進出すればボロ儲けだろう。

というほど事情は簡単じゃない。

イラン人の自信はなかなかに厄介で、食についても保守的な構えを崩さない。
外資系の参入が非常に難しいのだ。

例えば、街でマクドナルドもバーガーキングも見かけない。
どこの国を旅行していても見かけるはずのバーガーショップが見つからないのだ。
旅先で、いざという時すぐに見つかる非常トイレとしての評価が高いアメリカ系のバーガーショップが見つからないという事実の驚きは、特にバックパッカーなら分かることだろう。

ついでに言うと、食以外でも、例えばアップルストアも見かけない。でも、イランに行けば、道行く人の多くがiPhoneを使う光景を目の当たりにすると思う。日本ほどではないにしても、そこそこの普及率である。皆、一体どこで買っているんだ?

もう一つ、ついでに言うと、クレジットカードが使えないので、これからイランへ旅行に行く人は注意してほしい。VISAもMasterもアウト。
外国人旅行者が使えるのは現金だけ。それもドル$オンリーだ。

話を元に戻そう。外資系の飲食店が参入できない理由の根っこには、イラン人の「俺らのもんが一番旨いはず!」みたいな過度な自信があると思う。

今後のイランの外食産業について注目されたし。

最後に写真を。

1枚目はカバブ。棒状の羊肉とナンの料理。

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2枚目はビルヤニ。ハンバーグ状の羊肉とナンの料理。

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お正月の正体

正月とは何か?

この問いに答えられる日本人がどれだけいるだろうか。多くの日本人は正月がやって来たら、何となくしめ縄を飾り、何となくおせち料理を食べ、何となく鏡餅を飾っていることだと思う。若い世代に目を向けると、その習慣さえ無くなってきた。伝統が廃れつつある今だからこそ、正月の意味に光を当てる必要があるように思う。

結論から言おう。正月とは「古代日本人の蛇信仰」である。

欧米では蛇はネガティブなイメージを持たれている。そう言えば、旧約聖書において、アダムとイブに禁断の果実を食べるよう焚き付けたのも蛇だった。しかし、古代日本では違う。蛇はポジティブに捉えられていた。むしろ神格化され、信仰の対象になっていたのだ。

では、なぜ蛇が神格化されたのだろう?その理由は蛇の生態にある。
蛇の生態で有名なものと言えば、まず脱皮があげられる。蛇は脱皮すると、まるで死から蘇ったかのように強くなる。これは再生のイメージを想起させる。それゆえ、蛇は「延命」の象徴となった。
次に、交尾も有名だ。蛇の交尾は生物の中でも特に情熱的で、なんと24時間を超えるとも言われる。この特徴から蛇は「豊穣」のシンボルとして崇められた。
蛇は、その生態から古代日本において、人々の信仰の対象になったわけだ。

さて、正月の話に入ろう。

まずは門松のこと。日本の慣習では、人間は死ぬと神様になると考えられる。死んだ人間は、祖霊(先祖の霊のこと)となり、そしてお正月には年神となって、家に帰って来るとされている。「ご先祖様が迷わずお家へ帰れるように」と言って家の前に目印として飾るのが、門松だ。このとき、家に帰ってくる年神の姿そのものが、実は蛇で表されていた。

鏡餅のこと。古代日本人の蛇信仰の中で、蛇の目も信仰の対象だった。蛇の目と書いて、「蛇目」(カガメ)と呼ぶ(古代日本では蛇を「カガ」と呼んでいた)。この「カガメ」が訛って、「カガミ」となった。カガミを漢字にすると「蛇身」。そう、蛇の身体という意味だ。だからカガミモチとは、蛇身餅のことなのだ。鏡餅の絵を頭に思い浮かべてみてほしい。雪だるまのように二段になっていてる、あの形を思い出してほしい。とぐろを巻いた蛇の姿にそっくりだろう。つまり、鏡餅は年神への供え物ではなく、年神そのものなのだ。

まだまだある。

正装のこと。日本人は元旦に正装して挨拶するが、普段着ているものを脱いで、新しい着物を着るのは、脱皮のメタファーだ。

しめ縄のこと。しめ縄は蛇の交尾のシーンを形どったものだ。

小餅のこと。正月によく食べる小餅は蛇の卵の喩えだ。

以上のように、お正月の正体とは古代日本人の蛇信仰だったのだ。

お正月は、人々に年月の経過をお知らせしてくるプッシュ通知のようなもの。嫌でも加齢について意識が及んでしまう。「今年もまたひとつ年齢を重ねるのか」と思うと、どうしてもネガティブな気持ちになりがちだ。そんな時に鏡餅を飾ったり、正装をしたり、小餅を食べたりして、蛇を崇めることによって延命を引き寄せよう。脱皮にあやかって、命を伸ばそう。ついでに情熱的な交尾にあやかって豊穣も願おう。というのが、お正月の正体だ。

参考文献:吉野裕子(1999)『蛇』(講談社学術文庫講談社

 

蛇 (講談社学術文庫)

蛇 (講談社学術文庫)

 

 

追記:お正月について一つだけ納得いかない点がある。それは門松のこと。お正月に皆が門松を家の前に飾ったら、そこら中が門松だらけになるわけで、ご先祖様が自分の家を見つける目印にはならないと思う。

 

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ライブハウスが改善すべきたった一つの簡単なこと―音楽ビジネス論

大好きなバンドのライブに行った。
ワンマンライブだったが、前座バンドに数曲ほど披露する時間が与えられていて、まずそれを観た。その後、目当てのバンドの登場し、本番が始まった。まあ、よくあるパターンだと思う。

このパターンのライブで、毎回イラっとすることがある。
それは、セット転換中の無駄な待ち時間だ。

前座バンドの演奏が終わった時点で、足は少し疲れているし、何より時間をもてあます。
友達と観に来た場合は、お喋りしてればいいけれど、一人だったら大変だ。何もせずジッと立っていると、ちょっとの足の疲れがやたらと気になってくる。スマホでもいじって時間を潰そうか。スマホ?非日常を求めてライブハウスに駆け込んで来たのに、スマホ

セット転換中の待ち時間問題を解決するのは、あまりに簡単だ。
他のミュージシャンに、その場で弾き語りをさせればいい。
ステージすらなくていい。もう地ベタでいい。
もともと音楽が好きな人たちが集まっているんだから、大いに待ち時間を忘れられる。
それどころか、お客の中には、そのミュージシャンに興味を持つ人だって出てくるかもしれない。
好きな歌い手が増えるのは素敵なことだ。

これは待ち時間に弾き語りをするシンガーにとっても嬉しい話だろう。
どんなアウェイな環境でもいいから、5分でも10分でも大勢の前で歌うチャンスが欲しいミュージシャンは山ほどいる。
その日メインのバンドが、くすぶっている後輩のバンドにチャンスをあげたっていいし、そもそも前座バンドも基本そういうものだし、特に呼びたいシンガーがバンド側にいないなら、ライブハウス側が用意すればいい。会場の外で、無料配布CDを片手に、終演を待っているミュージシャンが毎日いるはずだ。何なら、その枠で出演料だって取れる。

客も嬉しいし、チャンスを貰えたミュージシャンも嬉しいし、ライブハウスにとっても嬉しい。関係者全員がハッピーになれる最高の話じゃないか。どうしてこんな簡単なことをやらないのか?

大勢の音楽好きが集まっているのは、とてつもなく大きな価値があることだ。なのに、その状況をみすみす無駄にするライブハウス。はやく改善されることを期待したい。

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