西部湯瓜のshow論文

考えたことのメモなど

『NARUTO』論~イタチとサスケ編

このエントリーでは、漫画作品『NARUTO』について少し書こうと思う。

この作品は国民的漫画だけあって各所で様々な論評がされているが、それらは全て、「前半は名作だけど後半は駄作」の一言に集約される。この評価に異論はない。ただ、そんな不評ばかりが聴こえる後半の中でも、読者の間で名シーンとの呼び声が高いシーンが存在する。
 
そう、穢土転生を破ったイタチがサスケに別れを告げるシーンだ。
 
「お前はオレのことをずっと許さなくていい お前がこれからどうなろうと おれはお前をずっと愛している」
 
絵も見開きいっぱい贅沢に使われていて、作者が力を込めて描いたシーンだということが伺える。
でも、このシーンについても延命が招いた失敗だと思う。
 
「(中略)おれはお前をずっと愛している」
 
冷静に考えてみてほしい。
日本の忍は「I love you」なんて言わない。
NARUTO』が海を越えて売れ始めてから、おそらく作者は外国でウケる表現を潜在的に意識していたのではないか。そう勘ぐってしまうような表現だ。
 
一方で、穢土転生する前に、イタチが初めて死んだ時のシーンは完璧だった。
サスケのためにあえて負けたイタチは死に際、「許せ、サスケ」と言い残して笑う。弟想いの優しい兄だった頃のように。このシーンこそ名シーンだと思う。憎い兄貴を演じ切ると誓ったはずのイタチが、最後の最期に理性が飛んで、どうしても弟に自分の感情を伝えたくなる。でも、そんなことしたらこれまでの計画が台無しになってしまう。サスケは木の葉に復讐をしたら永遠に報復の連鎖が終わらず、平和など実現しない。でも、二度と会えなくなる大切な弟を目の前にして、もう冷たい兄を演じ切れない。ギリギリの感情が交錯する極限状況の中、精一杯絞り出した言葉が、優しい兄時代の口癖「許せ、サスケ」だ。
 
ストレートにものを言わない日本人が、ここぞという場面で「愛している」と言うことに重みがあるんだ、と反論する人もいるかもしれない。それは大間違いだ。古来、日本では「愛」という言葉に馴染んでいない。そのことを夏目漱石は「月が綺麗ですね」で表現した。「許せ、サスケ」は夏目漱石にも負けない名台詞だと思う(文脈のある無しの違いがあるので、そもそも比較できるものではないが)。イタチを穢土転生させたのは間違いだった(と言うより、大蛇丸以外の忍が穢土転生を使えること自体が間違いだし、作品自体の延命が間違いだし、これより先は長くなるのでまた別の機会に)。
 
さらに言うと、穢土転生してからのイタチはベラベラとお喋りが過ぎる。第三者の口から真意が語られ、イタチ自身は何も言わずに全てを一人で抱えこんでいたから魅力的だったのに。これも延命したせいだろう。イタチで描けることがもう無くなったのに、無理やり登場させたせいで、キャラが崩壊した。あのミステリアスを返してくれ。
 
日本文化を伝える責任を一人の漫画家に押し付けるつもりは無いし、延命自体も様々な事情で仕方なくやっていたことかもしれない。ただ、少なくとも、『NARUTO』の中で極めて重要な位置づけにある、サスケとイタチのサイドストーリーの結末は、あまりにもったいないエンディングだった。
 
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NARUTO -ナルト- 1 (ジャンプ・コミックス)

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