西部湯瓜のshow論文

考えたことのメモなど

『メランコリア』論

意味もなく落ち込んだり、部屋から出たくない日が誰にだってあるだろう。
そんな憂鬱な日にお勧めしたい映画が『メランコリア』だ。
 
この映画はドラマ性よりもアート性が強い。プロットには粗があるし、正直もったいない箇所がいくつもあるけれど、それを許せるくらいに圧倒的な美の雰囲気がこの映画全体を支配している。たぶん作者はメタファーを描きたかっただけで、ストーリーのロジックなんてどうでもよかったのだろう。
 
一般的に映画というのは、ストーリーが最も重視されがちで、その点で小説や漫画と似ている。でも、この映画はそうじゃない。言うなら、絵画作品に近い。『メランコリア』を観ていると、まるで美術館で絵を眺めているような感覚を覚えるのだ。普段とは違った映画体験ができるという意味でも、お勧めしたい一本だ。
 
ではストーリーはどうダメだったのか?
以下に、ダメだった箇所とその理由、そして代替案を示したい。

●ジョンの最期が呆気ない。あれだけ妻クレアへの愛情を描いておいて、そんな呆気ない死に方ではロジックが通らない。迫り来る世界の終わりに、ただ一人だけ全く動揺しないジャスティンの異常性を際立たせるためにも、ジョンは生かしておいて、家族三人の絶望を描くべきだった。

●クレアが馬をそのままにしていたのがダメ。クレアはすべての馬を外に出すべきだった。つまり、飼っていた馬に「最期くらい好きな場所に行ってね」という配慮を見せるシーンが必要。世界の終わりを目の前にして、人間が所有欲を無くす様を描けたのに。もちろん、その結果、馬が自らの意思でその場に残るというようなシーンがあっても魅力。

●息子はジョンが乗っていったとされる馬が庭に帰ってきてるところを見てジョンの死を悟るシーンがあるが、その時の子供の描き方にはもう少しこだわってほしい。例えば、泣き散らかすだけでも随分と良くなるはずだ。

●長い。この内容で2時間15分は、長い。人が鬱に飲み込まれ、そして地球がメランコリア星に飲み込まれ、全てが終わるという点だけ描ければいいのだから、鬱を描き出すための個別のエピソードの尺を考慮しても、映画全体で1時間くらいにまとめられたと思う。
 
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