西部湯瓜のshow論文

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三島由紀夫に学ぶ文章テクニック《初級編》

前回、三島由紀夫が日本で一番文章が巧いということについて書いた。そして今回は約束通り、三島由紀夫の『文章読本』の中から、汎用性の高い文章テクニックを厳選して紹介する。まずは《初級編》だ。

<テクニック① 漢字の単語をカタカナで書く>

漢字をあえてカタカナで書くことでパロディの効果を出すことができる。ちょっと馬鹿にした感じの効果。今まで王様だと信じていたものが、裸の王様であったということがわかるような、偉さを奪うような、そういう面白さのある効果。三島由紀夫本人の言葉を借りれば、「偶像破壊的な効能」。

(例)偉い人→エラい人

<テクニック② 小説の人称は3人称で>

1人称と言えば日記があるし、2人称と言えば手紙がある。小説らしい人称は3人称だ。

<テクニック③ 小説の人称は省く>

小説の主人公を「彼」と書くと文章が浮き上がるような心配が生まれる。1人称で「私」なら、カチっとした文章になるのに。だから、人称を省こう。人称を簡単にカットできるのは日本語の魅力の一つ。『源氏物語』は、人称がカットされまくっており、どれが主語なのか曖昧な箇所がいくらでもある。これは、主語をごちゃ混ぜにすることで、読者の心に小説を密着させるテクニックだ。紫式部にならって、人称はどんどん省こう。

(例)顔を急いで洗って、部屋に這入って見ると、綺麗に掃除がしてある。目はすぐに机の上に置いてある日記に惹かれた。きのう自分の実際に遭遇した出来事よりは、それを日記にどう書いたということが、当面の問題であるように思われる。記憶は記憶を呼び起す。そして純一は一種の不安に襲われて来た。(森鴎外『青年』)

<テクニック④ 擬音語は少なく>

擬音語を減らそう。擬音語は文章をダサいものにする。例えば、「玄関のベルがチリリンと鳴った」や「ヒーヒー声を立てて」などのように。他にも、会話文の「そうですか。アハハ」は大衆小説でありがちなダサい書き方。三島由紀夫だけでなく、森鴎外も擬音語を嫌った。鴎外の文章は、擬音語が少ないことによって格調を高めている。

<テクニック⑤ 形容詞は少なく>

形容詞は文章のうちで最も古くなりやすい。森鴎外の文章が古くならないのは、形容詞を減らしているから。

<テクニック⑥ 同じ単語は何度も使わず、違う単語で言い換える>

2、3行の近い範囲で、同じ言葉が出てこないよう注意すべき。

(例)前に「病気」と書いた→次は「病(やまい)」と書く

<テクニック⑦ 対句を意識する>

(例)その人は理性を軽蔑していた→その人は感情を尊敬し、理性を軽蔑していた

<テクニック⑧ 小説で「彼女」はNGワード

男性の登場人物の場合は、「彼」と書いても大丈夫。しかし、女性の登場人物の場合は、「彼女」と書くのはNG。なるべく女性の名前を使って書くこと。名前は言い換えようがないので、同じ単語になってしまうが、これに関しては何度繰り返し使っても構わない。本人の言葉を引用しよう。

「彼女」という言葉は日本語としてまだ熟していないものをもっていて、「彼女」が無神経に濫発される小説を読むと、私は眉をしかめます。(三島由紀夫

<テクニック⑨ エッセイで「僕」はNGワード

小説ではなくエッセイの文章で、「僕」と書いてはいけない。「僕」という言葉は会話の中だけで使われるべき言葉だから。本人の言葉を引用しよう。

「僕」という言葉の日常的なぞんざいさと、ことさら若々しさを衒ったような感じは文章の気品を傷う(そこなう)からであります。(三島由紀夫

<テクニック⑩ 小説で映画俳優の名前はNG>

10年後にはその映画俳優が誰のことなのか分からなくなってしまうから。10年先に読まれることを考えて書くのが文章の楽しみ。ただし、エッセイの中では映画俳優の名前を出しても大丈夫。むしろ出さないのは不可能と言える。


これら《初級編》の技術をおさえれば、今日から書く文章は昨日まで書いていた文章よりも、ずっと良くなるはずだ。いずれ近いうちに、さらにハイレベルを目指す人に向けて、『三島由紀夫に学ぶ文章テクニック《上級編》』を紹介したい。

 

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文章読本 (中公文庫)

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