西部湯瓜のshow論文

思考のログがメイン。他にも色々。

テレビの消音機能の新しい利用価値について考える

無意識にテレビの消音機能を使っている自分に驚いた。

普段通り帰宅して、まずテレビをつけた。録画していた番組を見るために。テレビをつけたら、録画リストの中から見たい番組を選択して再生するだけなのだが、録画リストを出すよりも真っ先に僕の指は消音ボタンを押していた。あまりに慣れた手つきだった。初めて自分の無意識の行動習慣に気づいた瞬間だった。冷静に記憶を振り返っても、昔からの習慣ではなく、ここ最近覚えた習慣のような気がする。

真相を探るため、あえて消音をやめて音を出してみた。録画リストを呼び出し、見たい番組を探す。ここまできて、はっきりと自覚した。耳に入ってくる興味の無い情報がうるさい。とても耳障りだ。

録画したお目当ての番組を再生するまでの時間は1分を要するかどうか。ごく短い時間に過ぎない。にもかかわらず、無関心な情報が入ってくることが許せなかったということだ。たったの数十秒であっても徹底された不要な情報への拒否反応が現れる。冷静に考えれば、情報社会に毒されている気がする。

はじめに浮かんだ仮説はこうだ。

確かに、ここ最近、意図的に摂取する情報の量を増やしている。ネットだけでも複数の情報メディアに課金するようになった。隙間時間があれば、必ずスマホで何か読むよう意識している。この一年間のインプット量はこれまでにないほど膨大になった。そのせいで容量の大きくない僕の脳がパンパンになったのだろうか。という仮説。

いやしかし。もっと自分の情報摂取の習慣がどうなっているか丁寧に振り返って気づいた。量じゃなくて性質だ。近年、自分の触れる情報がもともと興味のあるものに偏っている。ニュースアプリをはじめとして、ありとあらゆるシーンでレコメンドのアルゴリズムに浸りきっている。広告ですらターゲティング広告という名の最新兵器に狙い撃ちされ、痛みを感じなくなった。こうなってくると興味のない情報に対する免疫がなくなってくる。だから突然耳に襲いかかってくる見知らぬ情報に強いストレスを感じるようになったのだ。

これは果たして良いことなのか悪いことなのか。ひとりディベートをしてみたい。

賛成派:人生の時間は短い。好きなことでも手いっぱいなのに、興味のない情報に触れてストレスを感じる時間はもったいない。何よりストレスは健康にわるいし、パフォーマンスを落とす。消音機能をどんどん使っていこう。これは消音機能の新しい利用価値だ。

反対派:テレビをつけた時くらい興味ない情報をシャットダウンするのはやめたら?このままでは、興味のないものに無理やり触れることによって、新しい分野に興味を持つといった機会がますます無くなってしまう。予想外の刺激は脳へのスパイス。偶然の出会いこそが人生を決定づけるものだということくらい、僕でも分かる。しばらくは、消音機能は使わないでおくべきでは?


西部湯瓜Twitter@save_yuri